EarthDreamingロゴ 放送内容
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4月 ラレコ
4月
〜5月
パク・トンハ
戎本みろ
5月 白井貴子
5月 北澤肯
5月
〜6月
中島まゆみ
6月 杉浦邦俊
6月
〜7月
伊藤遊
7月 高津玉枝
7月
〜8月
高木俊太
村上由里子
8月 石川雅之
8月 大野由紀恵
9月 藤田志穂
9月 宮腰義仁
10月 時東ぁみ
10月 森摂
11月 竹宮惠子
11月 槇原敬之
11月
〜12月
冨田勲
12月 上岡裕
12月 川端由美
12月 2008年を
振り返って
1月 赤塚りえ子
1月 中島まゆみ
1月 箕輪弥生
2月 イェンス・イェンセン
2月 武田双雲
3月 郷慎久朗
3月 椎名法子
3月
〜4月
森摂
5月10日ゲスト:白井貴子さん

白井貴子1  手塚「お会い出来て光栄です。学生の頃に白井さんのライブを拝見して憧れておりました...」白井「そうなんですか、初耳です(笑)」手塚「白井さんは4月20日のアースデイ東京のステージにもご出演されて、私も拝見しましたが、参加されて、いかがでしたか?」白井「お昼のライブだったので、“お客さん来るのかしら”と心配だったのですが、夕方頃には歩けなくなるくらい沢山集まって“こういう時代になったんだな”ひしひしと実感しました。というのは『環境』というのをテーマに都会でやって、若い方からご年配の方まで集まって、良いも悪いもこういう時代になってしまったのかなと...すごい時代になりました」

 手塚「白井さんは現在、音楽以外に環境に配慮した生活の大切さを神奈川県の方々にアピールする『かながわ環境大使』に選ばれ、また環境省の『3R(減らす・再利用・再資源化)推進マイスター』も務めていらっしゃいます。エコに関心を持たれたきっかけは?」白井「私自身はエコをやろうとか、環境をやろうとかと一回も思ったことがないんです。デビューして思いっきりロックをやっていましたが、80年代の終わりになかなか思うようにハードルを越えられず、身体もボロボロになってしまいました。そんな時になんでもない花が大地にピンと楽しそうに咲いていました。それを見た時に“自分はここから生まれてきたんだ”と思い、地球と自分の気持ちが直結しました。それから大地を踏みしめるように歩いていたら、沢山ゴミが落ちているのに気が付いたのです。気が付いてしまうとやらないでいられないほうなので、海のゴミを拾ったり、散歩がてらやるようになりました」

 手塚「その花はたまたま偶然見かけたということですよね」白井「こうやって生きていけば、音楽界だなんだというしがらみも関係なく自分は幸せで、しかも幸せに咲いている私を見て廻りもきっと幸せな気持ちになって元気になってくれると思いました。そう思ったら同じやり方では出来ないので、一旦すべてをヤメて、と言っても1年以上かかったのですが、そのままロンドンに行きました。行ったのが1988年。それから2年間生活しました。今から振り返ると、その2年間がものすごくエコツアーだったと思います。例えば、ウェールズに旅した時に放牧されている羊のお尻に赤や青の判子が押してありました。88年はチェルノブイリの原発事故の後で、それは放射能に汚染されているかいないかの印だったのです。その時に“こんなにチェルノブイリから遠いウェールズでもこういうことをしなければいけない、空は繋がっていて国境も何もない”ということを感じました。またロンドンでは無農薬のサンドイッチやハンバーグなどを売っているお店に行くのが好きで、そういうものを食べていると身体がどんどん元気になっていくのも体験しました。それで日本に帰ってきました。そうしたらゴミの日にまだまだ着られそうな服が、電気製品もまだまだ使えそうなものが捨ててあってビックリしました。そのカルチャーショックが自分のエコ感覚を養ってくれました」


白井貴子2 手塚「現在務めていらっしゃる『かながわ環境大使』で白井さんはどういった役割をされていらっしゃるのですか?」白井「私が今まで経験してきたことを神奈川県の方々に伝えています。今残念なのは、神奈川県は戦後三千も五千もあった里山が50を切ってしまったというデータが出ています。森を宅地に変えてしまって、人口が増えています。私の通っていた小学校の廻りの森、私が遊んでいたところが全部宅地になってしまいました。私を育ててくれた、私の目を楽しませ、カブトムシに会わせてくれたり、ユリネを取って“ママお土産”って渡したりした森が全部宅地になってしまいました。そういう状況なので神奈川県の子供達に“自然を大切にね”と言ったところで始まらないということも充分分かっています。“大切にって言う自然がないじゃん”と言われたら始まらないですから。それをどうにかするために神奈川で生まれ育った私が神奈川の自然のことで一所懸命頑張っている。それが何か意味があるようでならないのです」

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5月17日 ゲスト:白井貴子さん

白井貴子3 手塚「イギリスにいらした時も音楽活動、作曲活動はされていらしたのですか?」白井「行ってから半年ほど経って、楽器や録音機材を買って、デモテープを作る作業を始めました」手塚「イギリスから戻って、民族音楽なども取り入れていらっしゃいますが、きっかけは?」白井「テレビの取材でアフリカに行かせてもらいました。ドゥドゥ・ニジャエ・ローズさんというアフリカのジャンベの奏者の素晴らしい人がいて、太鼓を打ち始めるとさっきまでおじいちゃんだったのがいきなり少年のような目の輝きになるんです。そして太鼓を叩いているとお客さんが100人ぐらい詰まってくるんです。その姿を見た時に、音楽ってそもそもこういうもんだったなと思いました。演奏が終わるとみんなで楽器を片付けて、CDを売るんです。それを見て東京から神奈川に引っ越しました。家族と仲良くして、廻りの人達との輪を広げていくことで野太く出来ると思って...。その後アフリカのラティールという太鼓を今ずっとやってもらってる彼と偶然出会って、それ以来ですね」

 手塚「オリジナルレーベル『ROD』をお作りになりましたが、それはアフリカから戻ってからですか?」白井「そうです。大会社で大きい宣伝をかけて売るというより、アフリカの彼らのようにやればいいんだと思いました」


白井貴子4 手塚「今年2月にお出しになった、白井貴子&ザ・クレイジー・ボーイズのニューアルバム『地球〜HOSHI〜』についてお聞きしていきます。まず『地球』と書いて『ほし』と読ませるというところに、お気持ちが詰まっていらっしゃると思いますが、アルバムのコンセプトは?」白井「昔の仲間が集まって作ったニューアルバムです。今まで培ってきた中で一番大切な言葉が『地球』でした。5ほど前、思うところがあって、森を買ったんです。それでどこに家を建てようか検討する間、森の番をするために森に行き、そこでデモテープを作っていました。雨上がりの森の気持ちよさや、風が通り抜けた時、そういうものがすべて曲になっています」手塚「その自然の現象が詰まったアルバムなんですね」

 白井「一つ発見がありました。雨上がりの時に前の晩から炭を炊いてることを思い出して“火を消さなくちゃ”と消しに行きました。そうしたら、何か音がしていました。それがまるで曲のリフレインのようで、早速録音しました。でもそのメロディーが頭の中に鳴り続けていて、そのうち違うメロディーも浮かんできて曲を作ってしまったんです。これが音楽の原点だったのではないかとも思いました。それがこのアルバムにも入っています『雨あがり』という曲です」

 手塚「今後の予定は?」白井「今回のアルバムの中に20年前にロンドンで書いた曲、『Start Again』『I Follow The Sunshin』という2曲が納められています。作った時には受け止めてもらえそうになかった“自分を変えて、二人のあり方を変えていけば、未来はよくなっていくはずだ”というメッセージをやっと伝えることが出来ました。でもその時に作った曲がまだアルバム1枚分あります。それをどんどん発表していきたいと思っています」


パク・トンハさん、戎本みろさん 北澤肯さん

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