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インタビュー 必殺の仕事人たち

第1回 監督:石原興(前編)

シリーズ第1作『必殺仕掛人』にカメラマンとして参加して以来、斬新なカメラワークで『必殺』の世界観を築き上げてきた石原興。数々の名監督たちとコンビを組んできた経験を活かし、シリーズ後期からは監督として『必殺』に携わり、今回の『必殺仕事人2009』でもメガホンを取っている。まさに『必殺』の歴史を代表する人物である石原が、『必殺』に込めた思いを語る。

『必殺』シリーズ誕生

石原興

若い頃、僕はカメラマンをやってたんです。深作さん(※深作欣二:映画監督。代表作は『仁義なき戦い』シリーズや『蒲田行進曲』など。『必殺仕掛人』の第1話ほかを手がけた)と組んだときはそうでもないですけど、三隅さん(※三隅研次:映画監督。代表作は『座頭市』シリーズや『眠狂四郎』シリーズなど。『必殺仕掛人』の第3話ほかを手がけた)のときは緊張しましたね。僕が大映の撮影に下っ端で通っていた時に、あの方は大監督でしたから。その人と一緒の土俵に立つわけでしょう。最初はもうメチャメチャ緊張しました。その時に三隅さんがおっしゃったことはね、「好きに撮れ」と。「やりたいことをしなさい」と。そうおっしゃられたんです。だから僕も「これでいいですか?」と聞いたことはなかったですね。

それにね、やっぱりプロデューサーの大きさですよ。僕らがどんな画を撮っても、ABCのプロデューサーも、松竹のプロデューサーも、一切文句言わなかったですから。今見たらそうでもないかもしれませんが、当時としてはかなりムチャクチャやってるんですよ。怖さ知らずというんですか。

でも、今の『必殺』があるのも『紋次郎』(※『木枯し紋次郎』:市川崑監督、中村敦夫主演のテレビ時代劇。『必殺』シリーズは打倒『紋次郎』を合言葉に制作された)のおかげです。『紋次郎』に対抗して作った『必殺仕掛人』が、今の結果につながった。だからといって、『紋次郎』と違うものを作ろうと考えたわけじゃないんですよね。自分たちがこうだと思ったものをやった結果、全然違ったものができた。前の作品を意識して違う作品を作るのは間違いですよ。自分が思ったものを作らないと、新しいものはできないと思います。

今回の『必殺仕事人2009』もシリーズになるわけだから、他の監督さんも、基本の線は守りつつ自由にやってもらいたいですよね。類似品をいっぱい作ってもしょうがないわけやから。

カメラマンの仕事、監督の仕事

石原興

監督もカメラマンも変わらないですけど、カメラマンの方が面白いですね。カメラマンは無責任でしょう(笑)。今はモニターがあるから監督はカメラマンがどんなカットを撮っているかチェックができますけど、昔はモニターがないから分からない訳です。だから、カメラマンは監督に対して「あなたはこういう考え方をしてますけども、こういう考え方もあるんやで」というものを見せられる立場にあるわけですよね。監督というのはね、やっぱりその作品を守っていく責任がありますし、ある程度、人の顔色も見なアカンし、自由じゃないですよ。逆にカメラマンは好き放題ですから。

僕は、他の監督さんと違ってカメラマン出身だから、家で芝居のことは考えません。だから、台本も、本来ならいっぱい書き込んであるはずですけど、僕のは全然書き込みがないんですよ。ところどころメモ的なものは書いてあるけども、コンテなんてよっぽどのことがないと書きません。そういう性格してるんですよ。

僕はね、台本を覚えるのが早いし、忘れるのも早いんです。だって、「これはやったな」「あれもやったな」って言い出したら、手が詰まって前に進まへんでしょう。だから、忘れるってことは良いことなんですよ。

必殺の醍醐味は“ウソ”にあり

石原興

最初の頃、僕らが撮った画に対して「従来の時代劇と違う」と批判されたんです。そこで僕らは、「なんでろうそくの光で顔がわかるんや」と、反論したわけです。

昔の時代劇だって、ろうそく1本で暗いシーンを撮ったり、ろうそく3本でパーッと明るいシーンを撮ったりするわけです。僕らの場合、それをもっと誇張したんですよね。みんなウソついてるんだから、少しのウソかオーバーなウソかの違いですよ。でも、ウソには違いないわけでしょう? 僕らはそのシーンに合わせたウソをやってるわけです。

たとえば、1月4日放送のスペシャルで小五郎が伊左衛門を殺すシーン。小五郎がろうそくを前に回すと顔が見える。あれ、はっきり言ってウソでしょう(笑)。でも、シルエットの東山さんから、だんだんと顔が見えてくるほうが、「どういう顔しとるんやろう?」という期待があるじゃないですか。で、ろうそくを回してきたら、冷たい顔が見える。それが『必殺』なんです。

それがどうしたって言われりゃそれまでだけど、そういうことを考えながら撮影するのが、楽しんでるってことですよね。僕らの思いを伝えようとか、そういう気持ちはまったくないんですよ。ただ自分たちが面白いことをやっている。「どんな顔してるんか見たいやろ。なら、ろうそく回せや。だんだん明かり当てぇや」と。そういう楽しみ方をしてるだけです。

あのシーンだって簡単に言えば、呼び出してバーンと斬ったら済む話でしょう? だけど、それではドラマとして成立しないじゃないですか。だから、小五郎が伊左衛門を殺した斬り方も、伊左衛門が玉櫛を殺した斬り方と一緒にしてるんですよ。それが僕らの遊びなんですよね。

我々の仕事っていうのは、はっきり言って、遊んで金もらってるんですからね(笑)。たとえば、100人の意見を聞いて、90人がダメだと言って、10人からまあまあだという答えをもらったとしますよね。後の90人は気にしなければいい。そういう考え方もある。我々はそういうプラス思考ばっかりです。楽しまないと良いものができないですよね。たとえ結果が悪くてもね、楽しかったらそれだけプラスやないか、そういう考え方でやってますよ。(了)