EarthDreamingロゴ 放送内容
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4月 立川談志
4月 毛利 衛
4月 藤井フミヤ
5月 安在尚人
5月 坂本徹也
5月 近藤 篤
6月 羽仁カンタ
6月 故・手塚治虫講演より
6月 上田壮一
7月 今井絵理子
7月 杉山清貴
8月 船越令子
8月 大野由紀恵
8月 小島あずさ
8月 大宮美智枝
9月 KONISHIKI
10月 西垣成雄
10月 疋田 智
10月 斎藤 誠
10月〜
11月
高樹沙耶
11月 上岡 裕
11月 渡邉英徳
11月 柴田政明
12月 大塚明夫
12月 安寿ミラ
12月 この1年を振り返って
1月 伊藤瞭介
1月 秋山 孝
2月 寺薗淳也
2月 藤子不二雄A
2月 つやまあきひこ
2月 丸田信之
3月 皆川孝徳
3月 大矢寛朗
3月 持丸和朗
6月1日 ゲスト:環境NGO -A SEED JAPAN- 代表理事
羽仁カンタさん

羽仁カンタ1 羽仁さんはレゲエジャパンスプラッシュ、Rainbow2000、Fuji Rock Festivalなどの大規模野外音楽フェスティバルでボランティアを組織し、ゴミの削減、リサイクルなどの環境対策事業を行っていらっしゃいます。

 手塚「羽仁さんは22歳の時にアメリカ、ボストンの大学に留学されて、その頃から環境問題に関心を持たれたのですか?」羽仁「元々環境と言うよりは、人々がもっと繋がりあえないかなと思っていました。それを実現するために環境問題が良い橋渡しをしてくれると思って、社会学部環境社会学科を選びました」  手塚「91年に帰国されて"A SEED JAPAN"を設立されたんですが、その"A SEED JAPAN"についてご説明下さい」羽仁「特徴的なのは対処療法ではない活動を目指しています。例えばゴミが落ちていたら拾うというのではなく、それを捨てた人がいるということですから、ゴミを捨てないように、根本から改善していくということに重きを置いています」

 手塚「野外フェスティバルでのゴミゼロナヴィゲーションの活動、10年あまり経ちますがいかがですか?」羽仁「かなり変わりましたね。最初ひどかったですけどね」手塚「お客さんが帰った後、ゴミの山でしたものね〜」羽仁「ジャパンスプラッシュがあまりにひどかったので、そこで鍛えられましたね。最初僕たちも対処療法的にやっていたんです。ゴミを拾ったり...でもそれってすごく屈辱的だなぁ〜と思って、3〜4年で辞めたんです。それでゴミ袋を配るようにしたんです。それとゴミの中にもいわゆる資源ゴミも混じっているので、それを持ってきたお客さんには何かあげようというキャンペーンを行ったんです。ですからいかに参加型にするかということにこだわってきました。それからドンドン良くなってきて、Fuji Rock Festivalでは海外のミュージシャンが、“こんなに綺麗なイベント無いよ”と言うぐらいになりました」


羽仁カンタ2 手塚「そのお客さんの姿勢が変わってきた経緯をお聞かせ下さい」羽仁「お客さんの話の前に主催者との話をさせてください。ジャパンスプラッシュとFuji Rock Festivalでは主催者の気持ちが違ったと思いました。Fuji Rock Festivalではこんなこともやってみよう、あれもやってみようとディスカッションしながらやっていけたんです。それでお客さんの話ですけれど、最初ゴミ袋を配っても“これな〜に”という感じで、敷物になっていたんです。それが認知されるのに2〜3年かかりました。それとペットボトルのラベルを剥がしたりキャップ取ったりという地味な作業を最初はステージの裏で行っていました。それを去年お客さんにやってもらおうと思って呼びかけたら3000人ぐらいの人が手伝ってくれました」

 手塚「今年も野外イベントがこれから始まってきますが、今年はこんなことやってみたいなということがありますか?」羽仁「去年Fuji Rock Festivalでペットボトル23万本回収したんですが、その内の10万本ぐらいを使ってゴミ袋を作ります。フェスティバル内資源循環というのを目指しているんです。新しいことでは今年は紙コップのリサイクルを始めようとしています。紙コップからトイレットペーパーを作るということを目指しています」


近藤篤さん 故・手塚治虫氏講演より

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