EarthDreamingロゴ 放送内容
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4月 久米信行
4月〜
5月
古田貴之
5月 中溪宏一
5月〜
6月
中村真菜美
6月 鈴木幸一
7月 GOMA
7月〜
8月
馬場直子
9月〜
10月
北澤 肯
10月〜
11月
川端由美
11月 システム7
11月 福岡 司
12月 小西雅子
12月 ハセベケン
12月 2007年を
振り返って
1月 林家木久扇
1月 イルカ
2月 松尾直樹
2月 上岡 裕
3月 箕輪弥生
3月 冨田秀実
3月〜
4月
中島 悠
7月1日ゲスト:GOMAさん

GOMA1 GOMAさんは『ゴマ&ジャングル・リズム・セクション』のメンバーで、オーストラリアの先住民アボリジニの民族楽器『ディジュリドゥ』奏者です。

 手塚「このディジュリドゥという楽器についてお教えください」GOMA「アボリジニが昔から冠婚葬祭やセレモニーで使われたもので、ユーカリの木で出来ています」手塚「節が無いですね」GOMA「ただの筒です。ユーカリが生えているところに住む蟻の大好物が、この木の中心部分なのです。幹の中を蟻が綺麗に食べてしまいます。その木をアボリジニの人が見つけて伐って、楽器として再生させます。食べられたまま放っておいたらユーカリの木が枯れて、死んでしまいます。そうすると楽器としては(幹が薄くなりすぎてしまって)弱いので、いいタイミングを見計らって見つけなければいけないのです」手塚「蟻とアボリジニの方の共作なのですね」GOMA「まさにそうです」

 手塚「GOMAさんがこの楽器を演奏しようと思ったきっかけは?」GOMA「知り合いの、知り合いがイギリスのグラストン・ベリーフェスティバルで見て、イギリス産のディジュリドゥのダミー楽器を買って、それを吹いているの見てハマってしまいました。1994年のことです」手塚「それまでも民族楽器には興味を持たれていたのですか?」GOMA「いえ、全然なくて、ブレイクダンスをやっていました(笑)」手塚「(笑)それから楽器を手にするまでは時間がかかったのですか?」GOMA「すぐでした。竹でも作れると聞いたので、竹やぶに走っていって見よう見まねで伐って、節を抜いてそれで吹いたら音が出ました」手塚「その後その魅力にドンドンハマっていって、オーストラリアに足を運んだと伺っていますが...」GOMA「その前に大阪の楽器屋さんに頼んで取り寄せてもらいました。でもクオリティは低いものでした」


GOMA2

 手塚「GOMAさんにとってディジュリドゥの魅力は?」GOMA「音と音の自由度、そして楽器そのものですね。やり始めると呼吸を意識するようになります。そうすると自分の中をドンドン見るようになってきて、禅のような、ヨガのようなものに通じると感じました」

 手塚「現地のディジュリドゥのコンテストで優勝されて、海外からの評価も受け、プロとして音楽活動を始められたのですね。現在『ゴマ&ジャングル・リズム・セクション』というバンドをやっていらっしゃいますね」GOMA「ディジュリドゥ、ドラム、パーカッション2人という編成です。打楽器とディジュリドゥで熱いグルーヴを作っています」手塚「どういった経緯でこういうバンドを作ろうと思われたのですか?」GOMA「旅が好きでディジュリドゥを持って旅をしている中で出会ったメンバーと意気投合して作りました」

 手塚「『ゴマ&ジャングル・リズム・セクション』のファースとアルバム『リズム&ブレス』のコンセプトは?」GOMA「熱く踊れるという感じです」

7月7日 ゲスト:GOMAさん

GOMA3 手塚「GOMAさんはディジュリドゥをマスターするためにオーストラリアに行き、アボリジニの方達と一緒に暮らされたそうですが、1997年のことですか?」GOMA「そうです。本場の音を聞いてみたいと思いました。4年間日本で独学でやっていましたが、そのやり方が正しいかどうか、資料もありませんでしたから。97年はちょうどインターネットが普及しだした頃で、インターネットで調べていたら莫大な請求が来ましたので(笑)行った方が安いぐらいの請求が来ました」手塚「(笑)この楽器が盛んなところはどこですか?」GOMA「僕が行ったのはダーウィン、オーストラリの北の方です。そこに行けばディジュリドゥ屋さんがいっぱいあると聞いたので、そこを選びました。そして運良くディジュリドゥ屋さんで働かせて頂きました。行ってすぐは英語も喋れなかったので、毎日店に通い、新入荷のディジュリドゥを吹いてたら、そこの店員さんの一人が“お前毎日来るな。ここで働いてみないか?”と上の人に話してくれて、デモンストレーターとして雇ってくれました」

 手塚「その後アボリジニのコミューンに行かれるわけですが、どういったきっかけで?」GOMA「フリーマーケットがいっぱいあって、その中のミンディルビーチ・マーケット、『南半球で一番美しいナイトマーケット』と言われているマーケットなのですが、そこでストリートで吹かせてもらっていました。そこはアボリジニのコミューンにも近くて、ある日一人にアボリジニの人が“一緒に吹かせろ”と言ってきました。それでマーケットが閉まった後、“俺のところにこないか”と言われ、一緒に行きました」手塚「いろいろなコミューンがあると思いますがGOMAさんが行かれたところは?」GOMA「ビーチで一本の木の回りに綺麗に並んで寝ている移動式のコミューンや、プレハブのような家を国が建ててそこに暮らしている人達などいろいろありますが、僕が最初に行ったのはシーズンごとに移動していくコミューンでした。そこから今度、アーネムランドというアボリジニの聖地がいっぱいある場所に行きました」手塚「どのくらいそこにいられたのですか?」GOMA「その一番奥に居たのは2ヶ月ほどですが、アボリジニとふれあっていたのは2年ぐらいです」

 手塚「楽器は?」GOMA「その時は持っていきませんでした。絶対現地にあると思って。実際に木を伐って...」手塚「木の見分け方から教えてもらったんですね。それはとても新鮮なことでしたね」GOMA「そうですね。先ず楽器になる木を見つける『目』を養わなくては行けませんでした。全ての雲の流れ、雨のふる方向、風の当たる方向全てを読んで斧を入れます。その方向から斧を入れれば、もし楽器に適さないと思われた木でも、そこから再生されるからです。ディジュリドゥ屋さんに居た時もカットには連れて行ってもらいましたが、その時は電気ノコギリで何本も伐ってから使えるものを探すというやり方をしている人もいました。アボリジニの人達の無駄のないやり方は見ていて気持ちよかったですし、こういう生活は自分の中に取り入れていかなければ、と思いました」


GOMA4 手塚「他に感じたことは?」GOMA「ディジュリドゥを製作する過程に置いてリサクルというか、死んだユーカリの木を見つけて再生させると言う、魂の失われつつあるものを利用するということはとても大切だと感じました」手塚「それは楽器だけではなくて、生活全てに通じるものがあるのでしょうか?」GOMA「そうですね、全てのもに精霊が宿るという考え方です。自然と上手く付き合っているという感じがします。日本も木の神様、山の神様いてという、そういう感覚はすごく近いと思います」手塚「GOMAさんも日本人として、“俺の生まれた故郷と同じだ”と思うことがいくつかあったんですね。ということは自分の生きている世界と、彼らが生きている世界がまったく違うということではないということですね」GOMA「そうですね。ですからその部分ではとけ込みやすかったというか、違和感はありませんでした。その精霊を呼び起こすために使われるのがこの『ディジュリドゥ』なのです」

 手塚「アボリジニの方達はこの楽器をどう呼んでいるのですか?」GOMA「『イダキ』とか『バンブー』とか、部族によっていろいろな呼び方があります」手塚「『ディジュリドゥ』というのは彼らの言葉ではないのですか?」GOMA「違います」手塚「『イダキ』と呼ばれるその言葉の意味はあるのですか?」GOMA「意味というか、男性の象徴です」手塚「ということは生命に繋がる部分があるわけですね」


鈴木幸一さん 馬場直子さん

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