EarthDreamingロゴ 放送内容
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4月 久米信行
4月〜
5月
古田貴之
5月 中溪宏一
5月〜
6月
中村真菜美
6月 鈴木幸一
7月 GOMA
7月〜
8月
馬場直子
9月〜
10月
北澤 肯
10月〜
11月
川端由美
11月 システム7
11月 福岡 司
12月 小西雅子
12月 ハセベケン
12月 2007年を
振り返って
1月 林家木久扇
1月 イルカ
2月 松尾直樹
2月 上岡 裕
3月 箕輪弥生
3月 冨田秀実
3月〜
4月
中島 悠
12月15日
ゲスト:東京都渋谷区議会議員 NPO法人「グリーン・バード」代表
ハセベケンさん

ハセベケン1 手塚「ハセベさんは1972年のお生まれで、学生時代はオージーボールの日本代表として活躍されました。大学卒業後、広告代理店に勤務。2002年に退社後、2003年にNPO法人『グリーン・バード』を設立。どういうきっかけで『グリーン・バード』を設立されたのですか?」ハセベ「会社を辞めたのは区議会議員に立候補するためです。退社後選挙までの1年間、政党に入るつもりもなく無所属で立候補したいと考えていましたが、何をしたらいいか分からなくて、とりあえず街を知ろうと思いました。僕を担いでくれたのは表参道の『欅会』の青年部のみなさんで、彼らは前から朝の表参道の清掃活動などを行っていましたので、そこに参加しました。道行く人が声をかけてくれたりして、とても楽しい活動でしたが、掃除が終わり道具を片付ける頃にはまた、ゴミがたまっていました。これをどうにか解決する方法として、『ポイ捨てキャンペーン』と掃除をしてくれるボランティアを募るためのキャンペーンをするために『グリーン・バード』を設立しました」

 手塚「活動内容はその二つですか?」ハセベ「そうです。大きな目的はポイ捨てする人をなくそうということです。掃除に参加すればポイ捨ては出来なくなります。そして掃除に参加しなくてもポイ捨てをしない人を増やすために、1970年代の『ラブ&ピース』のムーブメントを参考にしました。あの当時のスマイルマークのような象徴のマークがあればいいなと考え作りました。これが原宿や表参道で流行ったらいろいろなところに広まるかなと思っています」

 手塚「いろんな地域で『ゴミを拾うキャンペーン』をやっていらっしゃるようですね」ハセベ「その次が東京の下北沢、駒沢公園、吉祥寺、歌舞伎町、渋谷。そして福岡、長崎、パリなどに広まりました」手塚「どのくらいの人が参加したのですか?」ハセベ「去年は年間で1万人ぐらいの人が参加しました、掃除をした人だけで。またカンバッジ売ったりなどの人も入れると60万人ぐらいにアプローチしたと思います。何かのアンケートで、ボランティアをしたことのある人が、2割。興味がない人が2割。後の6割がチャンスがあったらやってみたいという回答でした。この6割の人をターゲットに、手軽に参加出来る仕組みを考えようと思っています」


ハセベケン2 手塚「東京、表参道のケヤキ並木のイルミネーションについてお伺いしたいともいます。このイルミネーションが灯ったのが1991年。注目を集めて、昨今のイルミネーションブームの火付け役になっていましたが、この頃の印象は?」ハセベ「いわゆる地元住民で、家の近所で綺麗なものが始まって、ワクワクしました」手塚「その後人が沢山集まって、交通渋滞など、パニックのようになって、美しいというだけではない問題が出てきましたが、そのへんは?」ハセベ「最初はゴミの問題が出ましたが商店街や近隣の住民が一丸となってパトロールをして大分減りました。しかしゴミ捨てや立ち小便などをマスコミに取りあげられ、スポンサーに敬遠されたというのが、なくなっていく背景の一番の要因です。また昔の電球は熱を持つので、ケヤキを傷めるということもあってそれを理由に98年に“辞めます”と宣言しました」

 手塚「それが昨年復活しましたね」ハセベ「純粋に街からは綺麗だからもう一度の声や、いろいろな方面からも復活の要望があり、僕も元々広告代理店にいてスポンサーとも繋がりがありましたので、企画書を書いたのが、復活への道筋です。当時は『シャンゼリゼ商店街』という名前でしたが、2000年を機に商店街の名前も『欅会』に、これが転機になりました。元々ここは明治神宮の参道ですから、そこに立ち返ろうということで、そこのシンボルのケヤキを名前に使うことにし、その時に『原宿・表参道憲章』というのも考えられました。2000年当時はやっとエコという言葉が出始めた頃で“環境に配慮した街作り”や“文化の発信の地になろう”“国際色豊かな街”など。それらをふまえて復活することになりました」


12月22日 ゲスト:ハセベケンさん

ハセベケン3  手塚「復活するにあたって、クリアしていく課題はどういうことがありましたか?」ハセベ「ケヤキを傷つけない、ゴミの問題、スポンサーのことなどがありました。一番重要なのはケヤキを傷つけないという観点から、ケヤキに電球を巻き付けないでうまくライトアップ出来ないか、お店の明かりとぶつからずに新しい仕掛けが出来ないかと考えて、照明デザイナーの面出薫さんに相談しました。彼も神宮前にオフィスを構える地元の方なのです。また明治神宮ということも考え、クリスマスだけではなく、原宿の年末年始を飾るということで、コンセプトを『和』にしました。それでLEDを使った行灯風なものになりました。これは日本国内ではなく、世界の賞をもらいました。この感じが外国にはウケるのだと感じました。また消費電力も水銀灯1本あたり、普段の電力の90%で済みました」


ハゼベケン4

 手塚「ハセベさんがいろいろな課題をクリアして実現出来たとことに対する反応は?」ハセベ「最初に企画書を書いて出来上がるまでに2年かかりました。地域の人に話しに行ったり、反対の声を聞いたりしながらだったので。ですから課題をクリアして、実際に明かりがついた時は色々な方から“良かったね”と声をかけてもらいました。また車の渋滞を避けるために、歩いている方が綺麗に見えるようにしまし、見に来られない方のために定点カメラを置いてネットで見られるようにしました。でも実は“前の方が良かった”という声も聞かれました(笑)そしてこれは大きな失敗なのですが、これは商店街がお金を生み出さないもので、ましてや儲かるのもおかしいので、かかる経費を広告代理店にみてもらいました。後はどう代理店が売るかということだったのですが、結局代理店が赤字になってしまいました。ですから今年は二の足を踏まれて、規模はちょっと去年よりも小さくなります。それでもエコのメッセージを発信することは最低限やりたいので、明治神宮の参道に出る提灯を省エネ電球にしました。毎年変化するのもいいなと思っていて、来年は派手になるか、地味になるかは分かりませんが、色々な人と相談し、探っていきたいなと思っています」


小西雅子さん 2007年を振り返って

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