EarthDreamingロゴ 放送内容
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4月 大平貴之
4月 彦坂 裕
5月 ヨシダダイキチ
5月 五味美保
5月 加藤登紀子
6月 井上葉子
6月 羽仁カンタ
6月〜
7月
浦沢直樹
7月 石飛智紹
7月 ABC アウト
ドアフェスタ2005
8月 大蔵喜福
8月 佐藤文廣
9月 石飛智紹
青山 貴
9月〜
10月
トヨタ
白川郷自然学校
10月 彦坂 裕
10月 藤崎達也
11月 仁志田博司
11月 宇多弘行
12月 川端由美
12月 水谷優子
12月 2005年を振り返って
1月 手塚眞
1月 鈴木重子
2月 竹下景子
2月 鮎川ゆりか
2月〜
3月
石井竜也
3月 青木静
3月 パトリック・ライアン
8月7日ゲスト:登山家大蔵喜福さん

大蔵喜福1 今回のゲスト登山家の大蔵喜福 (おおくら よしとみ)さんは1951年、長野県飯田市のお生まれで14歳から本格的な登山を始め、20歳の時にヨーロッパアルプスに進出し、その後国内でも数々の登山記録をうち立てさらにアメリカ大陸、ヒマラヤへと足を延ばされました。そして1979年には世界初のヒマラヤ縦走登山に成功されました。また、スキー、カヌー、パラグライダー、フィッシング等、豊富なアドベンチャーの経験からアウトドアスポーツ全般に造詣が深く、講演、雑誌等でも活躍されています。

 手塚「大蔵さんが登山家になられたきっかけは?」大蔵「小学2年生の時に地図を描く宿題があり、世界地図を書描いて花丸を貰いました。それで地図に興味を持ち、地図を描くには高い所に登らないと描けないなと思いました。それと父とよく山へキノコ取りに行きました。で父はキノコ取りに夢中だったので、僕は勝手に山の奥に入っていってしまい、置いてきぼりにされることがあり、その時に自分が冒険家になったような気分になりました。その2つがきっかけで小学3〜4年生の頃に山に登りました。ですから14歳で本格的に登ったというのは3,000mの山を登ったと言うことです」手塚「山の奥に入っていって、怖い体験をされたんですか?」大蔵「夕方になって暗くなると怖いですよね。でもその時にゴミを見つけてほっとしましたね。ゴミがあれば人が通ったというのが分かりますから」

 手塚「子供の頃の自然体験が今、どういう影響がありますか?」大蔵「アウトドアで遊ぶということが自然とどう共存していくかの教材になっていると思います。子供達に自然をどう保護するかということを教えていますが、大元はどう楽しく遊ぶかということだと思って実践しています。自然を対象にして遊ぶということは危ないこともあります。大人が見ててあげて、子供がその中で遊ぶということは何かを乗り越えるという子供の価値観につながります。ですから大人が山や川や海に連れて行く大事さというのがあると思います」


大蔵喜福2 手塚「現在、ライフワークとして取り組んでいらっしゃるマッキンリーでの気象観測についてお聞かせください」大蔵「ヒマラヤに登りだしたのが20代の後半からなんですが、まだ若い時でしたから人がまだやっていないことや、まだ登っていない山に挑戦して記録を作ってみたいと思っていました。それで真冬のエベレストの北壁を登ってやろうと思いました。でもここを登るためにはお天気、特に風の勉強をしないとダメだろうと思い、勉強して、83年にヒマラヤに行きましたが自分が思っている以上の風で登ることが出来ませんでした。その翌年、マッキンリーで植村直己さんが亡くなったという話を聞いて、それがきっかけとなって風の勉強をしっかりしようと思いました。その5年後、僕と一緒にヒマラヤに行った仲間3人がマッキンリーで遭難して亡くなりました。そこで1990年に本格的にマッキンリーで観測をしようという決意をしました」
 手塚「大蔵さんにとっての植村さんはどういう存在ですか?」大蔵「スケールの大きな冒険をする方なので、憧れの的でした。それと今はコンピューターの時代ですが、アナログ的な、動物のように活動が出来る人だったので、そこに憧れていました」手塚「お会いになったことがあるようで...」大蔵「何度もあります。励まされたこともあります。アラスカに行って日本の有名人をあげろというと、植村直己しかあがりませんね。大冒険をしたということと、人柄も人なつっこくて優しい人でしたから好かれているんだと思います」

 手塚「具体的にどういった形で気象観測をしているのですか?」大蔵「人間は地上で33mの風が吹くと立っていられません。それが冒険の時に起こったら落ちてしまいます。ですからそういう風がどういう条件だと吹くのか、どういう天気図の時に吹くのかというデータを集めています。何故マッキンリーを選んだかというと植村さんや僕の仲間の件もありますが、常駐しなくてもお願い出来そうだったのと、6,194mの高さで北極圏の中にあって、独立峰なもんですから風の影響が大きくて、強い風が観測出来ます。そういう理由で16年間観測しています」

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8月14日 大蔵喜福さん

大蔵喜福3 手塚「1956年5月、日本登山隊がヒマラヤのマナスルに初登頂しました。それから約50年の今年、日本山岳会がマナスル登頂50周年記念シニア登山隊2005を組織して、再びマナスルを目指しました。それに大蔵さんも関わっていらしたんですね」大蔵「今年は雪がすごく多くて、結局登れなかったんです。このマナスルを登った50年前というのは、自然がいっぱい残っていた時代なんです。これ以降、人類の営みが急カーブを描いて伸びています。産業から何から自然のことを顧みずに。その反省も込めて今回マナスルを目指しました。また今は氷河も温暖化で後退していますし、氷河湖も上の氷河が融けて、水が溢れ出して洪水をおこして地元でも問題になっています。まぁ、来年がちょうど50年、大きな意味で地球を考えたいと思うので今年の資料を元に、もう一度マナスルへ行って、人間が自然と共存していくことで元気を取り戻すきっかけにしたいと思っています」


大蔵喜福4 手塚「高い山の上には“匂いの無い世界”というのがあると聞いたことがあるのですが」大蔵「匂いというのは動植物が一番きつい訳です。ですから岩と雪しか無い場所は匂いが無いんです。匂いがあるとしたら、これは有名な登山家が行った言葉なんですが『8000mは死の匂いがする』。これは無機質で何も無い所という意味です」

 手塚「今後のご予定は?」大蔵「子供たちに自然を教えるためには好きに遊ばせればいいと思っています。ですから夏はキャンプすることが仕事になっています。奄美大島の無人島に子供を連れて行って、1週間ほど遊んできます。秋はまたヒマラヤに登りに行こうと思っていますが、8月までは子供のキャンプが楽しみですね」


ABCアウトドアフェスタ2005 佐藤文廣さん

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