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地震年表

365日のうち、260日あまりが「地震の記念日」です。

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1月1日

1791年1月1日(寛政2年11月27日)
蕨で堂塔が転倒し、土蔵なども破損。川越や岩槻の寺院に被害。
2024年1月1日(令和6年1月1日)能登半島地震
能登半島北端部と東の海域を震源域とする逆断層型地殻内地震(深さ16㎞)。2023年5月に石川県能登地方で発生した群発地震活動の影響を受けて発生し、地殻内地震としては最大級の規模。震源断層各部の上端は既知の海底活断層にほぼ一致。死229(ほかに関連死112)、不明3、傷1334、住宅全壊6273、半壊20892(2024年8月現在)。最大震度7(石川県輪島市、志賀町)、半島北岸の隆起(最大4m)により港湾に被害、北東岸で津波(最大約5m)による被害。内灘町・新潟市などで液状化による被害。

1月3日

1738年1月3日(元文2年閏11月13日)
蘆ヶ崎村(現津南町)付近。蔵の壁損じ、釜潰れる。東山所平(現津南町)で屋敷崩れ、信州青倉村(現栄村)で家蔵破損。余震は14日朝まで80回余、翌年に及ぶ。
1796年1月3日(寛政7年11月24日)
岩美町で蔵の壁が落ち、石塔倒れ、地下水の異常があった。余震が翌年正月まであった。

1月4日

1664年1月4日(寛文3年12月6日)
二条城や伏見の諸邸破損、洛中の築垣所々崩れる。吉田神社・下加茂社の石灯籠倒れる。余震が月末まで続いた。
1686年1月4日(貞享2年12月10日)
広島県中西部を中心に家屋などの被害が多く、死者があった。宮嶋・萩・岩国・松山・三原などで被害。

1月5日

1859年1月5日(安政5年12月2日)
島根県一帯で強く、波佐村で山崩れがあった。周布村・美濃村・下道川村などで被害。家潰56。

1月7日

1890年1月7日(明治23年)
東筑摩・北安曇・更科・上水内の各郡で家屋の小破、山崩れ、道路破損などがあった。死1。

1月10日

1848年1月10日(弘化4年12月5日)
柳川で家屋の倒潰があった。

1月12日

1914年1月12日(大正3年)桜島地震
桜島の噴火で発生した地震。鹿児島市で住家全倒39、死13、鹿児島郡で住家全倒81、死22。小津波があった。

1月13日

881年1月13日(元慶4年12月6日)
宮城の垣墻・官庁・民家の頽損するものはなはだ多く、余震が翌年まで続いた。
1793年1月13日(寛政4年12月2日)
防府で家屋の損壊が多かったという。萩では30年来の大地震と史料にある。現在の福岡県各地で小被害。対馬で石垣崩れ。
1945年1月13日(昭和20年)三河地震
規模の割に被害が大きく、死2306、住家全壊7221、半壊16555、非住家全壊9187。特に幡豆郡の被害が大きかった。深溝断層(延長9km、上下ずれ最大2mの逆断層)を生じた。津波は蒲郡で1mなど。

1月14日

1848年1月14日(弘化4年12月9日)
弘前の城内・城下で被害。黒石・猿賀(弘前の北東)辺りで特に強く、潰家があったらしい。
1978年1月14日(昭和53年)「伊豆大島近海の地震」
死25、傷211、住家全壊96、半壊616、道路損壊1141、崖崩れ191。前震が活発で、当日午前、気象庁から地震情報が出されていた。伊豆半島で被害が大きく、翌15日の最大余震(M5.8)でも伊豆半島西部にかなりの被害が出た。

1月15日

1924年1月15日(大正13年)丹沢地震
東京・神奈川・山梨・静岡各県に被害があり、死19、家屋全潰1300余。特に神奈川県中南部に被害が著しかった。
1993年1月15日(平成5年)釧路沖地震
わが国では11年ぶりの震度6を釧路で記録、死2、傷967、建物や道路の被害もあった。北海道の下に沈み込む太平洋プレートの内部で発生した深さ約100kmの地震で、この型の地震としては例外的に規模が大きかった。

1月17日

1995年1月17日(平成7年)兵庫県南部地震(Kobe earthquake)、阪神・淡路大震災
活断層の活動によるいわゆる直下型地震。神戸、洲本で震度6だったが、現地調査により淡路島の一部から神戸市、芦屋市、西宮市、宝塚市にかけて震度7の地域があることが明らかになった。多くの木造家屋、鉄筋コンクリート造、鉄骨造などの建物のほか、高速道路、新幹線を含む鉄道線路なども崩壊した。被害は死6434、不明3、傷43792、住家全壊104906、半壊144274、全半焼7132など。早朝であったため、死者の多くは家屋の倒壊と火災による。

1月18日

1586年1月18日(天正13年11月29日)天正の飛騨美濃近江地震
飛騨白川谷で大山崩れ、帰雲山城、民家300余戸埋没し、死多数。飛騨・美濃・伊勢・近江など広域で被害。木曽川下流で民家のゆり込み、亡所となるところ多し。余震は翌年まで続いた。いろいろと解明すべき点のある地震。御母衣(白川)断層の他に阿寺・養老・桑名・四日市の各断層も動いた。
1895年1月18日(明治28年)
北海道・四国・中国の一部まで地震を感じた。被害範囲は関東東半分。全潰53(家屋43、土蔵10)、死6。

1月19日

1706年1月19日(宝永2年12月5日)
湯殿山付近のきわめて局地的な小被害。家屋の破損や地割れがあった。

1月21日

1408年1月21日(応永14年12月14日)
熊野本宮の温泉の湧出80日間止まる。熊野で被害、紀伊・伊勢・鎌倉に津波があったという。史料の信憑性に問題ありか?
1625年1月21日(寛永1年12月13日)
広島で大震。城中の石垣・多門・塀などが崩潰した。島根で有感。
1763年1月21日(宝暦12年12月8日)
足軽家と番所小破。大迫(岩手県)で有感。史料2点のみ。
1970年1月21日(昭和45年)
傷32、住家全壊2、半壊7、一部破損139などの被害があった。

1月22日

1774年1月22日(安永2年12月11日)
屋根石が多く落ちる(『宮津日記』:要史料批判)。京都・池田で有感。

1月23日

1975年1月23日(昭和50年)
阿蘇山外輪山内にある一の宮町三野地区に被害が集中した。熊本県で傷10、建物全壊16、半壊17、道路損壊12、山崩れ15。

1月25日

1848年1月25日(弘化4年12月20日)
熊本城内で石垣を損じ、座敷などの壁が落ちた。

1月26日

1853年1月26日(嘉永5年12月17日)
善光寺で被害。長野市中で下屋の破損があった。松代領で潰家23。

1月27日

1700年1月27日(元禄12年12月9日)
北米オレゴン・ワシントン沖の巨大地震による遠地津波が、三陸~紀伊半島にかけて襲来。和歌山県田辺で新庄村御蔵へ汐入り。三陸沿岸の大槌浦に大汐上がり、漁師家2軒、塩釜2工破損。
1811年1月27~30日(文化8年1月3~6日)
噴火活動による地震。山崩れ・地割れを生じた。

1月28日

1502年1月28日(文亀1年12月10日)
越後の国府(現直江津)で潰家、死多数。会津でも強く揺れた。

1月29日

1763年1月29日(宝暦12年12月16日)宝暦の八戸沖地震
11月はじめより地震があり、この日大地震。寺院・民家が破損した。平館・田名部・大畑で家潰5、死4。函館でも強震。津波があり、余震が多かった。1968年十勝沖地震と似ているので、もっと沖の大きな地震か。

1月30日

1902年1月30日(明治35年)
三戸・七戸・八戸などで倒潰家屋3、死1。前の地震の余震か?

1月31日

1959年1月31日(昭和34年)弟子屈地震
後の地震で被害が生じた。弟子屈町・阿寒町・阿寒湖畔で被害が多く、構造物や建物の破損などがあった。全壊2(集合煙突の倒壊、澱粉工場の倒壊)。