地震年表
365日のうち、260日あまりが
「地震の記念日」です。
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12月1日
1070年12月1日(延久2年10月20日)
東大寺の巨鐘の鈕が切れて落ちた。京都では家々の築垣に被害があった。
12月2日
1611年12月2日(慶長16年10月28日)
慶長の三陸沖地震
三陸地方で強震。震害は未発見。津波の被害が大きかった。伊達領内で死1783、南部・津軽で人馬の死3千余という。三陸沿岸で家屋の流出が多く、北海道東部でも溺死が多かった。1933年の三陸地震津波に似ている。
12月4日
1972年12月4日(昭和47年)
八丈島東方沖地震
八丈島と青ヶ島で落石・土砂崩れ・道路破損などの被害。八丈島震度6だが、人的被害、建物の被害は軽微。
12月5日
1325年12月5日(正中2年10月21日)
荒地・中山崩れる。琵琶湖の竹生島の社寺の堂舎が損壊した。日吉神社の懸仏少々落ちる。京都で強く感じ、余震が年末まで続いた。
12月7日
1646年12月7日(正保3年11月1日)
方々の石垣崩れ、家も損じ、地割れがあった。江戸城の石垣が所々破損した。被害は「正事記」に載るのみ、疑わしきか?
1812年12月7日(文化9年11月4日)
江戸で小被害。最戸村(現横浜市港南区)で家19や寺堂3が倒れかかる。その他神奈川宿・川崎宿・保土ヶ谷などに潰家や死者があった。
1833年12月7日(天保4年10月26日)
庄内地方で特に被害が大きく、潰家475、死46。津波が本庄から新潟に至る海岸と佐渡を襲い、能登で大破流出家約345、死約100。
1944年12月7日(昭和19年)
東南海地震
静岡・愛知・三重などで合わせて死1183、住家全壊18143、半壊36638、流失2400。遠く長野県諏訪盆地での住家全壊12などを含む。津波が各地に襲来し、波高は熊野灘沿岸で 6~8m、遠州灘沿岸で1~2m。紀伊半島東岸で30~40cm地盤が沈下した。
2012年12月7日(平成24年)
東北地方太平洋沖地震の周辺、日本海溝付近の正断層型地震(深さ49km)。死1、傷15。最大震度5弱(青森県・岩手県・宮城県・茨城県・栃木県の9市町村)
12月8日
1921年12月8日(大正10年)
龍ケ崎地震
千葉・茨城県境付近に家屋破損・道路亀裂などの小被害があった。従来、竜ケ崎市の地震とされていたもの。
1922年12月8日(大正11年)
島原地震
被害はおもに島原半島南部・天草・熊本市方面。長崎県で死26、住家全潰195、非住家全潰459。このうち2回目の地震による死3。
12月9日
1802年12月9日(享和2年11月15日)
享和の佐渡小木地震
巳刻の地震で微小被害、未刻のこの地震により、佐渡3郡全体で焼失328、潰家732、死19。島の西南海岸が最大2m強隆起した。鶴岡で強く感じ、米沢・江戸・日光・高山・秋田・弘前で有感。
1841年12月9日(天保12年10月27日)
長野で石垣崩れる。上田・馬屋(新潟県清里村)で有感。
1892年12月9日(明治25年)
能登地震
9日の地震により羽咋郡で家屋・土蔵の破損があった。加賀・越中の海岸で潮位異常とされるが資料は少ない。11日にも同程度の地震がやや南で起きて、羽咋郡で全潰2、死1。
12月10日
1661年12月10日(寛文1年10月19日)
高知城内石垣の石少々抜ける。
12月11日
1892年12月11日(明治25年)
能登地震
9日の地震により羽咋郡で家屋・土蔵の破損があった。加賀・越中の海岸で潮位異常とされるが資料は少ない。11日にも同程度の地震がやや南で起きて、羽咋郡で全潰2、死1。
12月12日
1694年12月12日(元禄7年10月26日)
宮津で地割れて泥噴出。家屋破損、特に土蔵は大破損。
1817年12月12日(文化14年11月5日)
箱根で落石、江戸で幕府書物方の蔵に小被害。秩父・甲府・八王子などで有感。
12月13日
1821年12月13日(文政4年11月19日)
文政の岩代地震
大沼郡大石組の狭い範囲に強震。130軒壊れ、大小破300余、死若干。上下動が強く、山崩れがあった。翌年1月4日に再び強い揺れがあった。
12月16日
1843年12月16日(天保14年10月25日)
幕府書物方の庫に損じ個所あり。群馬県高山村・日光・茨城県御前山村・坂戸・塩山で有感。
12月17日
1096年12月17日(嘉保3<永長1>年11月24日)
永長の東海地震
大極殿小破、東大寺の巨鐘落ちる。京都の諸寺に被害があった。近江の勢多橋落ちる。津波が伊勢・駿河を襲い、駿河で社寺・民家の流失400余。余震が多かった。東海沖の巨大地震とみられる。
1987年12月17日(昭和62年)
千葉県を中心に被害があり、死2、傷161。住家全壊16、半壊102、一部破損7万余のほか、道路などにもかなりの被害があった。
12月18日
1828年12月18日(文政11年11月12日)
激震地域は信濃川流域の平地。三条・燕・見付・今町・与板などで被害が大きかった。全体で寺社の全潰91・焼失8、家屋の全潰13149・焼失1200、死1681。地割れから水や砂が噴出するなど、液状化現象がみられた。
12月19日
1723年12月19日(享保8年11月22日)
肥後で倒家980、死2。飽田・山本・山鹿・玉名・菊地・合志各郡で強く、柳川・諫早・佐賀でも強く感じた。
12月21日
1946年12月21日(昭和21年)
南海地震
被害は中部以西の日本各地にわたり、死1330、家屋全壊11591、半壊23487、流失1451、焼失2598。津波が静岡県より九州に至る海岸に来襲し、高知・三重・徳島沿岸で4~6mに達した。室戸・紀伊半島は南上がりの傾動を示し、室戸で1.27m、潮岬で0.7m上昇、高知・須崎で1.2m沈下。高知付近で田園15km
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が海面下に没した。
12月22日
1454年12月22日(享徳3年11月24日)
大地震があり、陸奥国に津波が押し寄せた。津波は山の奥まで入り、多くの人々が海に引き込まれて死んだという。「総覧」に不記載。
12月23日
1425年12月23日(応永32年11月5日)
築垣などが多く崩れる。余震があり、この日は終日揺れた。
1854年12月23日(嘉永7<安政1>年11月4日)
安政の東海地震
被害は関東から近畿に及び、特に沼津から伊勢湾にかけての海岸がひどかった。津波が房総から土佐までの沿岸を襲い、被害をさらに大きくした。この地震による居宅の潰・焼失は約3万軒、死者は2千~3千人と思われる。沿岸では著しい地殻変動が認められた。地殻変動や津波の解析から、震源域が駿河湾深くまで入り込んでいた可能性が指摘されており、すでに100年以上経過していることから、次の東海地震の発生が心配されている。
12月24日
1854年12月24日(嘉永7<安政1>年11月5日)
安政の南海地震
東海地震の32時間後に発生、近畿付近では二つの地震の被害をはっきりとは区別できない。被害地域は中部から九州に及ぶ。津波が大きく、波高は串本で15m、久礼で16m、種崎で11mなど。地震と津波の被害の区別が難しい。死者数千。室戸・紀伊半島は南上がりの傾動を示し、室戸・串本で約1m隆起、甲浦・加太で約1m沈下した。
12月26日
1854年12月26日(嘉永7年11月7日)
南海地震の被害と区別が難しい。伊予大洲・吉田で潰家があった。鶴崎で倒れ屋敷100、土佐でも強く感じた。
1949年12月26日(昭和24年)
今市地震
死10、住家全壊290、半壊2994、非住家全壊618。被害は石造建物に多く、山崩れも多かった。
12月27日
1936年12月27日(昭和11年)
新島・式根島で死3、民家全潰39、半潰473。崖崩れが多く、26日頃から前震があった。
12月28日
1994年12月28日(平成6年)
三陸はるか沖地震
震度6の八戸を中心に被害、死3、傷788、住家全壊72、半壊429。道路や港湾の被害もあった。弱い津波があった。
12月31日
1703年12月31日(元禄16年11月23日)
府内(大分)山奥22ヶ村で家潰273、破損369、死1。油布院筋・大分郡で農家580軒潰れる。豊後頭無村(現日出町豊岡)で家屋崩れ、人馬の死があった。
1703年12月31日(元禄16年11月23日)
元禄の関東地震
相模・武蔵・上総・安房で震度大。特に小田原領で被害大きく、城下は全滅、12ヶ所から出火、潰家約8千、死約2300。東海道は川崎から小田原までほとんど全滅し、江戸・鎌倉などでも被害が大きかった。津波が犬吠崎から下田の沿岸を襲い、死数千。全体として死約1万、潰家約2万2千、流出家約6千。1923年関東地震に似た相模トラフ沿いの巨大地震と思われるが、地殻変動はより大きかった。
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