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地震年表

365日のうち、260日あまりが「地震の記念日」です。

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10月2日

1678年10月2日(延宝6年8月17日)
花巻で城の石垣崩れ、家屋も損壊、死1。白石城の石垣崩れる。秋田・米沢で家屋に被害。会津若松城が小破。江戸で天水桶の水溢れる。

10月3日

1686年10月3日(貞享3年8月16日)
遠江で新居の関所など少々被害、死者があった。三河で田原城の矢倉など破損、死者があった。
1710年10月3日(宝永7年閏8月11日)宝永の伯耆地震
河村・久米両郡(現鳥取県東伯郡)で被害最大。山崩れ人家を潰す。倉吉・八橋町・大山・鳥取で被害。死多数。

10月4日

1859年10月4日(安政6年9月9日)
島根県那賀郡で強く、周布村でも潰家や地割れがあった。広島城内でも被害があった。
1994年10月4日(平成6年)北海道東方沖地震
北海道東部を中心に被害があり、傷436、住家全壊39、半壊382。津波は花咲で173cm。震源に近い北方四島では死11など、地震動と津波で大きな被害。

10月6日

2000年10月6日(平成12年)鳥取県西部地震
陸域の横ずれ断層型地殻内地震。鳥取県境港市、日野町で震度6強(計測震度導入後初めて)。傷182、住家全壊435、半壊3101。M7級の地殻内地震にもかかわらず活断層が事前に指摘されておらず、明瞭な地表地震断層も現れなかった。

10月7日

1731年10月7日(享保16年9月7日)
桑折で家屋300余崩れ、橋84落ちる。白石城で被害。城下や周辺で家屋など倒れ、死あり。蔵王の高湯で家の破損が多かった。仙台城で小破損があった。

10月8日

1592年10月8日(天正20年9月3日)
この日、強震が3度あり、5日にも揺れを感じた。江戸で被害。

10月9日

1257年10月9日(正嘉1年8月23日)
鎌倉の社寺に無被害なものはなく、山崩れ、家屋転倒し、築地悉く破損。地割れを生じ、水が湧きでた。余震多数。同日三陸沿岸に津波が来襲したというが、疑わしい。

10月12日

1857年10月12日(安政4年8月25日)
今治で城内破損、郷町で潰家3、死1。宇和島・松山・広島などで被害。郡中で死4。

10月13日

1943年10月13日(昭和18年)
死1、住家全壊14、半壊66、非住家全壊20。その他、道路の亀裂などがあった。
1963年10月13日(昭和38年)
津波があり、三陸沿岸で軽微な被害。最大全振幅は花咲で1.2m、八戸で1.3mなど。

10月15日

1884年10月15日(明治17年)
多数の煙突が倒れ、煉瓦作りの壁に亀裂が入った。柱時計の70~80%が止まった。

10月16日

1970年10月16日(昭和45年)
傷6、住家半壊20、一部破損446、全焼1、山崖崩れ19などの被害があった。

10月17日

1930年10月17日(昭和5年)
片山津で死1。ほかでは煙突破損など小被害、砂丘による崖崩れなど。

10月18日

1644年10月18日(寛永21年9月18日)
本荘城廓大破し、屋倒れ、死者があった。本荘領内で死63。市街で焼失が多かった。金浦村・石沢村で被害。院内村で地裂け、水が湧出した。
1762年10月18日(宝暦12年9月2日)
高岡郡で瓦落ち、山崩れる。16日まで少しずつ余震。岩国・宇和島・筑後などで有感。

10月19日

1955年10月19日(昭和30年)二ツ井地震
被害は二ツ井町・響村に限られ、傷4、住家半壊3、非住家全壊1、半壊310など。

10月20日

1683年10月20日(天和3年9月1日)
下野の三依川五十里村で山崩れが川を塞ぎ、湖を生じた。日光では山崩れで鬼怒川・稲荷川の水が流れず、修復半ばの石垣崩れなどの被害。1日、2日で地震760回余、1日から晦日までで1400回余。江戸で有感。

10月21日

1706年10月21日(宝永3年9月15日)
江戸城や大名屋敷などで多少の被害。
1861年10月21日(文久1年9月18日)
陸前の遠田・志田・登米・桃生などの各郡で特に被害が多く、潰家・死傷があった。江戸・新潟県分水町・長野・長万部・津軽まで有感。
2016年10月21日(平成28年)
左横ずれ断層型地殻内地震(深さ11km)。関連する活断層は見つかっていなかった。死0、傷32、住家全壊18、半壊312。最大震度6弱(鳥取県倉吉市・湯梨浜町・北栄町)。

10月22日

1627年10月22日(寛永4年9月14日)
家屋倒潰80戸。死者があった。疑わしきか?
1687年10月22日(貞享4年9月17日)
南米ペルー沖の地震による遠地津波。塩釜で潮が1.5~1.6尺上昇。琉球にも津波。
1767年10月22日(明和4年9月30日)
瓦が落ち、14~15軒潰れ、所々破損があった。
1894年10月22日(明治27年)庄内地震
被害は主として庄内平野に集中した。山形県下で全潰3858、半潰2397、全焼2148、死726。

10月23日

2004年10月23日(平成16年)新潟県中越地震
「新潟-神戸歪み集中帯」に属する活褶曲帯で発生した逆断層型地震(深さ13km)。規模の大きな余震が多数発生(M6以上4余震)して被害を助長、死68、傷4805、住家全壊3175、半壊13810。川口町で震度7(計測震度導入後初めて)、震源域の地質を反映して地すべりの被害が目立った。

10月24日

1698年10月24日(元禄11年9月21日)
大分城の石垣・壁など崩れる。岡城破損。高鍋城で破損と石垣崩れ。佐賀で有感1日に6回。

10月25日

1881年10月25日(明治14年)
国後島泊湊で板蔵など倒れ、または大破した。津軽でも強く感じた。

10月27日

1927年10月27日(昭和2年)関原地震
局部的強震。傷2、住家半潰23、住家大破234。宮本村の田圃内に石油ガス噴出口を生じた。

10月28日

1707年10月28日(宝永4年10月4日)宝永の南海・東海地震
わが国最大級の地震の一つ。全体で確かな死5千余、潰家5万9千、流出家1万8千。震害は東海道・伊勢湾沿岸・紀伊半島で最もひどく、津波が伊豆半島から九州までの太平洋沿岸や瀬戸内海を襲った。津波の被害は土佐が最大。室戸・串本・御前崎で1~2m隆起し、高知の市街地約20km2が最大2m沈下した。遠州灘沖から四国沖までの南海トラフ沿いの広範囲を震源とする巨大地震。11月23日に富士山が大爆発し宝永火口を作った。
1891年10月28日(明治24年)濃尾地震
仙台以南の全国で地震を感じた。わが国の内陸地震としては最大のもの。建物全潰14万余、半潰8万余、死7273、山崩れ1万余。根尾谷を通る大断層を生じ、水鳥で上下に6m、水平に2mずれた。1892年1月3日、9月7日、94年1月10日の余震でも家屋破損などの被害があった。

10月29日

1707年10月29日(宝永4年10月5日)
宝永の南海・東海地震の最大余震。潰家7397、潰寺254、死24。
1764年10月29日(明和1年10月5日)
伊勢神宮が所々破損というが内院は無事。京都で強く感じ、大阪で長く感じた。甲府・塩山などで有感。

10月31日

1662年10月31日(寛文2年9月20日)
日向灘沿岸に被害。城の破損、潰家多く、死者があった。山崩れ、津波を生じ、宮崎県沿岸7ヶ村周囲7里35町の地が陥没して海となった。日向灘の地震の中でも特に被害が大きかった。
1739年10月31日(元文4年9月29日)
午前1~5時頃に4~5回の地震。相川の小家が少々破損した。新潟県中條村・日光で有感。
1762年10月31日(宝暦12年9月15日)
石垣・家屋が破損、銀山道が崩れ、死者があった。津波により鵜島村で潮入り5戸、願村で流出18戸。新潟で地割れを生じ、砂と水を噴出。酒田・羽前南村山郡・弘前・日光・江戸などで有感。