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栄光の背番号27

■日本シリーズがいよいよ始まりました!・・・と僕はテレビの電子番組表で知りました。昨日は人気球団代表の衝撃的な記者会見がありましたが、プロ野球、ちょっといろいろ大変ですね■1週間ほど前の夜。地上波テレビ(関西圏)では、ゴールデンアワーに2つのスポーツ番組が放映されていました。バレーボールとフィギュアスケート。しかし、プロ野球のクライマックスシリーズは地上波では観られませんでした。中高年の男性にはにわかに信じられない事態ではないでしょうか。風呂上り、ビール片手にナイター中継を観る、っていうのが日本の正しいお父さんの姿だったはずなのに■戦後日本において、プロ野球が何故あれほどの人気を博する娯楽となったのか。そして何故近年その地位を追われつつあるのか。わが国に暮らしている人なら誰でもその理由のいくつかは思いつくでしょう。しかし、放送局は長年優良コンテンツとしてプロ野球にお世話になり、共存共栄(今風に云えばWin-Win)の関係を築いてきたわけで、それを論うのもこの場ではどうかと思います。ただ、なんとなく淋しいのです■・・・僕は、子供の頃まで巨人ファンでした。正確に云うと、1974年10月14日まで。この日は、不世出の大打者・長嶋茂雄さんの引退試合の日。でも僕が巨人ファンを止めたのは、長嶋引退のせいではありません。同じ日、長嶋同様巨人軍を支え続けた森昌彦捕手(現・森祇晶氏)が、華やかなセレモニーもなく、地味な記者会見だけで現役そして球団を去ったからなのです■もちろん長嶋選手も大好きでしたから、V10を逃した直後のこの日、消化試合となった中日とのダブルヘッダーの中継を、テレビの前で正座して観ていました。第1打席、現役最後のホームランでも、最終打席の全力疾走でも、名高い『永久に不滅』の挨拶でも、涙したのを憶えています。でも僕はやっぱり森さんの方がもっと好きでした。何故でしょう?■翌春僕は大学に入学し、心理学を学んだりするわけなのですが・・・そこでハタと気づいたことがあります■森捕手は、川上監督の下での巨人軍の黄金期、いわゆるV9時代にはほとんどの試合でマスクをかぶっていました。そしてほとんどの巨人戦は、関西でもテレビ放映がありました。今の野球中継はセンター・バックスクリーン横のカメラの映像がメインですが、当時はバックネットからの画がベースでした。しかも今ほどカメラの台数も多くはなく、カットの切り替えも少なかったはずです■ということは、です。高度成長時代日本の夏場の風物詩・巨人戦の中継で、相手チームの攻撃の時には、画面にはほとんどの時間、森捕手の背中が映っていたわけです。しかも球審を除けば画面の一番手前に!僕はひそかに、テレビ放送開始から70年代半ばまでで、日本で一番長い時間テレビに映っていたのは森捕手ではないかと思っています。だって他に候補思いつかないもん■で、ですね、ここから話は勝手に佳境に入るのですが、アメリカの心理学者の研究で、『単純接触効果』というのがあるんです。つまり簡単に云うと、接触する機会の多いものに人間は好意を抱いてしまう、という法則。何度も同じ音楽を聴いていると、いつの間にかその曲を好きになって知らぬ間に口ずさんでいる、なんていうのが代表例でしょうか。まあ当たり前っちゃあ当たり前の現象ですが、これが世の「広告」というものの理論的裏付けでもあるのです■つまり、僕は少年時代ずっと野球中継を観ていた間に、最もよく接触する『背番号27・森昌彦』に最大の好意を抱くようになったのではないか、と■でも森捕手がたくさん映っていたのはウチのテレビだけじゃなく、日本中ですからねえ。うーん、簡単に屁理屈が崩壊したゾ■やっぱりアタクシ生来、ちょっと脇にあるもの、地味目なもの、が好きなタチなんでしょうか??マジ悩むわあ・・・(艦長)

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(泣)、そして小屋入り

2011年11月18日金曜日
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