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2016年2月17日

『見巧者』という言葉が好き

■少し前のことですが、雑誌『上方芸能』の終刊が発表されました■「えー!?なんでなくなるの、貴重な存在なのに・・・」などという声がきっと数多く寄せられたと思います。よくある話ですが、お店にしても、劇場にしても、なくなると分かるとお客様が押し寄せる。なら、ずっと足を運べよって話で、『上方芸能』に関しては僕も同罪です。つまり、最近ずっと買ってなかった・・・■おそらく20代前半の頃からかなり長い期間、僕は『上方芸能』を書店で毎号必ず買っていました。全頁をくまなく読んでいたわけではありませんが、漫才・落語などの演芸、現代演劇についての批評などは熱心に読んでいたと思います■購読をやめた理由は忘れましたが、大好きだった連載が終わったのが一つのきっかけだったかもしれせん。それは、六代目笑福亭松鶴師匠の甥ごさんに当たる、和多田勝という方のイラスト付きエッセイです。「相惚れ大阪」とか、そんなタイトルだったと思います。ほのぼのした文体と絶妙の間で、艶っぽくしかも笑える、大阪の街とお酒と芸事に関する文章でした。和多田さんは若くしてガンで亡くなられています。ネット上の事典によるとそれは1994年、52歳になられたばかりのことです。連載が終わったのはもう少し前のことでしょう。あの頃。和多田さんが誌面から去り、また、自分も上方芸能の現場の一端に身を置く者として、記事に若干違和感を覚えるようになっていた気もします■雑誌業界の苦しさについてよく耳にします。部数の減少、相次ぐ休刊、廃刊・・・演劇や芸能関係の雑誌に関して云えば、「情報」つまり、これから行われる公演や上映・放映についてのPRのための媒体はまだ辛うじて全滅は免れていますが、事後の「批評」については壊滅状態なのではないでしょうか?専門家や見巧者の手による、作品のしっかりした評論は、芸術・芸能の発展には欠かせない存在です。新聞にはまだ劇評、芸能時評的なものが残っていますが、数は限られ、しかも全国紙においては東京で公開された作品が中心にならざるを得ません。関西に密着してきた芸能批評誌『上方芸能』の終わりは、案外大変なことなのかもしれません■実は、もうはるか昔のことですが、自分が参加している劇団の作品のことを『上方芸能』に何度か書いていただいたことがあります。年一くらいでしか公演をしない素人劇団のことですから、劇評ページの中心的題材であるわけはありません。ほんの2、3行、「あ、それから、こんな芝居もあった」くらいの扱いなのですが、それでも具体的に褒めてもらえれば、その喜びは何物にも代えがたいものでした。書く側にすれば些細な記述でも、当事者にとっては大変な励みになるのです。「たとえ読む人は少なくとも」と云うのは失礼かもしれませんが、活字による批評というのは、純粋な読者のためだけでなく、批評の対象となっている作者・演者の成長のためにも存在するのですきっと■『上方芸能』は今年の6月号(通巻200号)で終わりです。雑誌『上方芸能』はなくなっても、上方の芸能はなくなりません。はて、何か自分に出来ることはないのか、ふとそんなことを思ってみたりもするのです(艦長)

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